雖然現在日本人在日常中不太會說諺語,但其實不少日語的諺語是源自於中國古代書籍,而到目前為止漢文仍然是日本國高中必修課,所以即使是現在的日本人,對於中國古代思想,多少都有一定程度的理解的。由於日本人閱讀漢文時通常都是使用「書き下し文」(漢文訓讀)的方式,也就是將漢文原文根據日語的語法重新排列後,使用訓讀的方式讀作。所以這些源自中國古代書籍的諺語,也是使用漢文訓讀方式居多。


夷を以て夷を制す

(いをもっていをせいす)


以夷制夷

「後漢書」鄧禹傳

一を以て万を知る(一を以て萬を知る)

(いちをもってばんをしる)


以一知萬

《「荀子」非相》

一言以て之を蔽う(一言以て之を蔽ふ)

(いちげんもってこれをおおう)


一言以蔽之

《「論語」為政》

恨みに報ゆるに徳を以てす(恨みに報ゆるに德を以てす)

(うらみにむくゆるにとくをもってす)


報怨以德

《「老子」第六三章》

王事を以て家事を辞す(王事を以て家事を辭す)

(おうじをもってかじをじす)


以王事辭家事

《「春秋公羊傳」哀公三年》

管を以て天を窺う(管を以て天を窺ふ)

(くだをもっててんをうかがう)


以管窺天

「漢書」龔勝傳》

薫は香を以て自ら焼く(薫は香を以て自ら燒く)

(くんはこうをもってみずからやく)


薰以香自燒

《「漢書」龔勝傳》

毛を以て馬を相す

(けをもってうまをそうす)


以毛相馬

《「鹽鐵論」利議》

志士仁人は生を求めて以て仁を害するなし

(ししじんじんはせいをもとめてもってじんをがいするなし)


志士仁人,無求生以害仁

《「論語」衛靈公第十五》

書は以て姓名を記するに足るのみ

(しょはもってせいめいをきするにたるのみ)


書足以記名姓而已

《「史記」項羽本紀》

滄浪の水清まば以て我が纓を濯うべし(滄浪の水清まば以て我が纓を濯ふべし)

(そうろうのみずすまばもってわがえいをあらうべし)


滄浪之水清兮,可以濯吾纓

《「楚辭」漁父》

他山の石以て玉を攻むべし

(たざんのいしもってたまをおさむべし)


他山之石,可以攻玉

《「詩經」小雅・鶴鳴》

晩食以て肉に当て安歩以て車に当つ(晩食以て肉に當て安步以て車に當つ)

(ばんしょくもってにくにあてあんぽもってくるまにあつ)


晚食以當肉,安步以當車

「戰國策 」齊策上》

火を以て火を救う(火を以て火を救ふ)

(ひをもってひをすくう)


以火救火

「莊子」人間世》

人にして恒無くんば以て巫医を作す可からず(人にして恆無くんば以て巫醫を作す可からず)

(ひとにしてつねなくんばもってふいをなすべからず)


人而無恆,不可以作巫醫

「論語」子路》

人に事うるを知る者にして然る後に以て人を使うべし(人に事ふるを知る者にして然る後に以て人を使ふべし)

(ひとにつかうるをしるものにしてしかるのちにもってひとをつかうべし)


知事人者,然後可以使人

「孔子家語」曲禮子夏問》

人を以て言を廃せず(人を以て言を廢せず)

(ひとをもってげんをはいせず)


不以人廢言

《「論語」衛靈公》

富貴なる者は人を送るに財を以てし仁人は人を送るに言を以てす

(ふうきなるものはひとをおくるにざいをもってしじんじんはひとをおくるにげんをもってす)


富貴者送人以財,仁人者送人以言。

「史記」孔子世家》

暴を以て暴に易う(暴を以て暴に易ふ)

(ぼうをもってぼうにかう)


以暴易暴

《「史記」伯夷傳》

道を以て欲を制すれば則ち楽しみて乱れず(道を以て欲を制すれば則ち樂しみて亂れず)

(みちをもってよくをせいすればすなわちたのしみてみだれず)


以道制欲,則樂而不亂

《「禮記」樂記》

貪らざるを以て宝と為す(貪らざるを以て寶と為す)

(むさぼらざるをもってたからとなす)


以不貪為寶

「春秋左傳」襄公一五年》

明は以て秋毫の末を察するに足れども而も輿薪を見ず

(めいはもってしゅうごうのすえをさっするにたれどもしかもよしんをみず)


明足以察秋毫之末,而不見輿薪

「孟子」梁惠王上》

両心は以て一人を得べからず一心は以て百人を得べし(兩心は以て一人を得べからず一心は以て百人を得べし)

(りょうしんはもっていちにんをうべからずいっしんはもってひゃくにんをうべし)


兩心不可以得一人,一心可以得百人

「淮南子」えなんじ) 」繆稱訓》

類を以て集まる

(るいをもってあつまる)

以類聚


「易經」繫辭上》

入るを量りて出ずるを為す

(いるをはかりていずるをなす)


量入以為出

《「禮記」王制》

知らざるを知らずと為す是知るなり

(しらざるをしらずとなすこれしるなり)


不知為不知,是知

《「論語」為政》

莫耶を鈍と為し鉛刀を銛と為す

(ばくやをどんとなしえんとうをせんとなす)


莫邪為鈍兮,鉛刀為銛

《賈誼「弔屈原文」》

腐木は柱と為す可からず卑人は主と為す可からず

(ふぼくははしらとなすべからずひじんはしゅうとなすべからず)


腐木不可以為柱,卑人不可以為主

《「漢書」劉輔傳》

政を為すは猶沐するがごとし

(まつりごとをなすはなおもくするがごとし)


為政猶沐也

《「韓非子」六反》

道を聞くこと百にして己に若く者莫しと為す

(みちをきくことひゃくにしておのれにしくものなしとなす)


聞道百,以為莫己若

《「莊子」秋水》

我が心石に匪ず転ず可からず(我が心石に匪ず轉ず可からず)


我心匪石,不可轉也

(わがこころいしにあらずてんずべからず)

《「詩經」邶風・柏舟》

父母疾有らば為む可からずと雖も薬を下さざるの理無し(父母疾有らば為む可からずと雖も藥を下さざるの理無し)

(ふぼやまいあらばおさむべからずといえどもくすりをくださざるのりなし)


父母有疾,雖不可為,無不用醫藥之理

《「宋史」文丞相傳》